昨日買った本たち

・暗幕のゲルニカ

ゴッホのあしあと

深夜特急1

 

祖母が、本当にたくさん本を読むようになったので

わたしは本を買う頻度が上がった

 

今までだったらセーブしていたかもしれない場面でも

おばあちゃんが読むかもしれないから、と、いい具合に理由をつけて、スッとお会計

 

最近は、読んだ本に3段階で感想をつける、ということを始めてもらったので

より一層、選書に気合が入る

 

物語はちょっと…と言っていた彼女だったけれど、

はじめて3段階のうち最高評価(◎)をつけた作品は

原田マハ『たゆたえども沈まず』だった

 

昨日は多和田葉子『地球にちりばめられて』を読み始めていて

どう、読めそう?と聞いたら「面白く読んでるわ~」という返事

なんだか、うれしい

 

最初は、置いていた雑誌や実用書をめくるくらいだったのが

今や、旅行記、小説、エッセイ、海外文学だって読んでいる

 

わたしの蔵書は女性作家に偏りがちなのだけれど

祖母は父の蔵書(ほとんどが歴史小説またはノンフィクション系)も読んでいるので

わたしよりずっと幅広いジャンルにふれている

 

80歳をこえてはじめて、読書という趣味を得た祖母

ウッドデッキの椅子に腰かけて、庭の緑を眺めながら本を読む祖母の姿を

まぶしく、見ている

友人と半年ぶりの再開

仕事のこともプライベートのことも、自分の向かう方向性のことも

安心して話せる、大切な親友

 

思考の仕方も視点も、似通っているから

言いたいことをみなまで言わずともわかってもらえるし

親友の考えていることも、なんとなくわかってしまう

 

「貴方に会うと頑張ろうって思える」と

これ以上はない、と思えるような言葉を、彼女はいつもくれる

お世辞という風でなく、毎回言っているからという風でもなく

そのとき思ったことが不意にこぼれてしまった、という風なので

わたしは毎度、笑ってしまう

ありがとうね

 

今日会う寸前まで、口を開けば黒いどろどろしたものが出てきそうな感じだった、と彼女は言うけれど

いつだって、自分の正しいと思うことやすべきこと、したいことを

まっすぐ見据えている彼女のことを、わたしはあんまり心配していない

 

文化的に生きたいねえ、とふたりして決意を固めて

彼女はわたしの薦めた本をその日のうちに買っていたし、決意したことをもう始めていた

わたしたちを繋いでくれたものは、出会ったころとなんら変わらない

 

数十年後、どんな風に過ごしたいかという話をして

それ今となんにも変わらなくない?という内容だったので面白かったな、

最高の人生だ

 

互いに出来ることが増え、好きなことが増え、色んな経験をしても

きっとずっと根本に在り続けるんだろうな、と思えるものごとたち

それを分かち合える幸せよ

 

見下したり、持ち上げたり、思ってもないのに共感したり、という

そういうこととは無縁の、彼女とのさっぱりした関係を心から大切に思う

 

次は、もっと短いスパンで会いましょう

心にかかっていた靄が、晴れた日

 

大人になるにつれて、少しずつ前向きな思考ができるようになってきたとはいえ、

根本的にわたしは、根暗なほうだ

 

一度、悪いように考え出すと止まらくなり、

あっというまに悲観的な考えに支配されてしまう

 

真っ黒になった心をほどくのには数日かかるし、

時には、一番近しいひとに想いをぶつけてしまうことも、ある

いつも後悔して反省して、自分にがっかりする、その繰り返し

いい加減成長したいと、もうずっと思っているのに

 

数日経ち、ごめんなさい、と言うわたしに

すごく反省してるのね、と彼は言った

 

どんなことでも、たとえそれが本当の気持ちだったとしても

伝え方はきちんと選ぶべきだ、と思う

それなのに、彼を責めるような物言いをしたことを

ものすごく、ものすごく悔いていたのだけれど

 

どんな形であれ、本音を出してすっきりできたならいいよ、

お互いわかっていれば(今は感情的になっちゃってるな、とか)

受け止め合っていけるんじゃないの、と言ってくれた

 

これまでそういうことに向き合わずにきたから

これは自分の課題でもあるわけだし、と

 

うまくやっていきましょう?という言葉に

あぁ、彼はわたしの思っている以上のひとなのだなぁと思った

 

わたしの思っていた以上に、わたしと向き合ってくれているし

わたしの思っていた以上に、深い、ひとなんだ

彼の誠実さを見くびっていたよ、ごめんね

 

わたしは素晴らしい人間でもないし

未熟で、自分をうまくコントロールできないこともあって

そんな自分じゃ必要としてもらえない、と勝手に悲しんでいたけれど

それって、

今のわたしとちゃんとこうして向き合ってくれている相手に対して

ものすごく失礼な話だな、とも思ったのだった

 

まだへたくそだけど、

自分や彼と向き合いながら前に進めたらいいなと思うし

成長していくところも見てもらえたらうれしい

先日、8年ぶりに楽譜を買った

 

今の自分にはなにかが欠けている気がして、

その欠けた部分を、かなりの時間をかけて探している

 

クラシックバレエのお教室に行き始めたり、

ダンスを再開したり、

本を読んだり、

生け花のお稽古を数年ぶりに受けたり…

どれもすごく楽しくて、心がピンと張る感じがして、うれしかったのだけれど

欠けていたのはこれだ!という感覚はなかった

 

なんだろう、なんだろうと考え続けて

最近思い至ったのは

「明確な目標」と「それに向かってコツコツ努力していく時間」なんじゃないか、って

 

これまでの人生はいつも

期限のある明確な目標があって、それに向かって何かを積み重ねていく

その繰り返しだったように思う

 

これが自分の求めているものかは、わからないけれど

ひとまず1つ目標を定めてやってみよう、という気持ち

 

選んだのは、「才能なし」と自分で勝手に烙印をおしたピアノ

あえて、これを選んだ

 

8年ぶりのピアノ

指は全然回らないけれど、コツコツやれたらいい

まずドビュッシーを1曲仕上げたいと、思う

私はすごく、遠くを見てしまう癖がある

それはいいことでもあるけれど

結構、自分の首を絞めることだなあと、最近やっとわかってきた

 

先を見すぎて、自分の足元を見失わないように

小さな段差に足を取られてしまわないように

気を付けたい、今あらためて、強く思う

 

「今」や「目の前のこと」を軽んじないこと

もちろん、未来のための今、ではあるけれど

今を積み重ねるから未来になる、と思うようにしたい

 

同じような意味かもしれないけれど

言い回しひとつで自分の解釈はずいぶん違ってくるものだ

 

遠くへ、遠くへと気持ちが急くばかりに

よく躓いてしまう自分に、いい加減うんざりしている

躓いては、そのたび後悔しているはずなのに

またしばらくすると気持ちはどんどん前のめりになって、足元がおろそかになって

気づけば湿った土に足を取られたりしている

あーあ

 

朝、なんとなく買ったティーラテが意外にも美味しくて、気持ちがすこし上がる

普段は家でタンブラーに飲み物(近頃は、白桃緑茶か麦茶)を淹れていくから

買うことはほとんどないのだけれど

たまには、いいね

 

自分だけの、小さなしあわせを

こうして書き留めて、積み重ねていきたいよね

 

足元をすくわれないように、さ

 

35℃の地から一転、窓の外では雪がちらついている

気温差にやられてしまうのではないかと心配していたけれど、今のところ、大丈夫そう

ある程度の予測と経験、そして心の準備ができているというのは、大事なことだ

 

いつも旅のあとに「あぁ現実が戻ってきた…」と思うのだけれど、今回はそれがない

旅先での数日も、仕事をしている毎日も、変わらず私の現実だということを、強く強く感じたから、かしら

 

そこに差はない、のだよね 本当は

 

夢のよう、と思ったとしても

その場所に行って、画面越しではない世界を見て、聞いて、食事をする

それはまぎれもない現実で

この、刺激的なごはんも、美しい壁面の色も、

あの手この手とカタコトの日本語を駆使して船に乗せようとするおじさんも(笑)、

夢にしちゃいたくないな、と思う

 

これはちゃんと私の現実だ

私が目で見て、聞いて、味わった現実

 

過ぎ去った夢にしてしまわない

きちんと咀嚼して、私の一部になる

そういう風に、したい

 

さて、週末がやってくる

帰宅と同時に荷解きをはじめる、というのが

なまけものの私が最も効率よく片づけを終わらせる方法なので

今回も荷解きは終わっているけれど

部屋は、まあなかなかにごちゃっとしている

 

この週末は部屋を綺麗にして、風を通したい

そして、3月から本腰を入れたいと思っていることに手を付けようと思う

 

なんてあたたかい、朝

日差しが肌をなでるようで、マフラーも手袋も外して歩いた

 

気持ちがはずんで駆け出したいくらいだったけれど

実際のわたしは全身に筋肉痛をかかえて、歩くのもヨロヨロ

 

私はかなりの高確率で夜中に目が覚めてしまうのだけれど

身体を思い切り動かした日は

朝までしっかりと眠れるのが良い

夢も見ず泥のように、とまではいかないけれど

身体がすーっと沈んでいくような、穏やかな疲労は、心地よいものだ

 

身体を自分の思い通りに操れるようには、なかなかならなくて

もどかしく感じることは多い

練習の過程は、はっきり言って美しくないし

美しくない自分の姿を、延々と鏡で見ることにもなる

理想のシルエット、理想の動き、理想の強さ

それらを全部叶えるには、筋力も体力も柔軟性も、全然足りないのだ

 

学生の時みたいに、毎日何時間もの時間を費やすことはできない分

急激な成長は、望めないけれど

それでも、亀の歩みでも、目指すところに近づいていきたいと思う

 

一歩でも進むことができるなら、進まない理由はないよね