生き生きとした心の動きを、言葉に書き起こしたい、という想い

これはだいぶ前から強く持っている

別にうまくもない文章なんだけれど、ただそれをするのが好きだ、と自信を持って言える

 

大学の時、観光大使のような仕事をした1年で、短い文章をこまこまと書いた

コラムのような、エッセイのような、感想文のような、なにか

「伝える」のが仕事だったので、文章だけでなく、スピーチやMC、ステージなどもやったのだけれど

一番、文章が好きだった

 

そもそも「伝えるための表現」が好きだ、と思えたのが最大の収穫で、その収穫は確実に今の私につながっているのだろうと思う

 

心が動いた瞬間を伝えたい。

この素晴らしいものの舞台裏を伝えたい。

見落とされている価値を伝えたい。

 

伝えたい、表現したいという想いは私の原動力で、そのエネルギーを一番丁寧に注げるのが、文章

 

伝わってくれるといい、誰かに届くといい、1人でもいいから。

とりとめもなく、そんなことを考える

 

今年は、たくさん書く

心を自分で動かしに行くよ

どこまでも行きたい、軽やかでありたい

できるだけ多くを見て、聞いて、知って、

自分という器をぐいぐい広げながら、そこに水を注ぎ続けたい

 

そう、たぶんこれが私の願い

 

最近、ホロスコープや姓名鑑定、マヤ暦など、

いろんな占いに触れる機会があって、そのたびにちょっと笑ってしまう

いや、ちょっと自由を好きすぎないか、これ

 

そんなに好奇心旺盛な方でもないし、

無鉄砲でもないし、行動派でもないけどなあ、なんて

これまでずっと思ってきたけれど、

きっと私は、私が思っているより自由が好きで

〝動くこと〟に対する欲が、あるのだと思う

そのなかで生まれる、感覚、のようなものを 信じたいのだと思う

 

近頃、やっとそれがわかってきた

ううん、わかっていたけど、認められるようになってきた、のだ

 

自由も軽やかさも、あまりよくないことだと思っていた

見方をかえれば飽きっぽく、落ち着きがなく、目移りしやすい、ということで

それを厭う人たちの視線や言葉を 痛いほど感じていたから

 

だけど、自分の心を押し込めて、それなりにうまくやってゆくことよりも

出来る範囲で、手の届く範囲で、きちんと自分を喜ばせてあげること

諦めばかりじゃなくて、自己効力感を少しずつでも育ててゆくこと

そういうふうに、やってゆきたいと思うようになった

 

突拍子もないことをなんでもやるわけではなく

自分の「できること」を少しずつ増やすようなやり方で

願いを、この手で叶えてゆこう

 

自由と軽やかさと、愛のある人生を

思考の癖、のようなものはどうしたってあって

自分で気づいていなかったことに

ここ数か月、たくさん、気づく機会をもらっている

 

両親や兄弟、友人や、素敵な女性、久しぶりに会った同級生

指摘してもらったり、会話のなかから自分で気づいたり

意外と自分のことって理解しきれていないものなのだな

 

基本的に頑固なわたしだけれど

譲れないものに対する意思が強すぎる反動なのか

それ以外のことになると許容範囲が異様に広い

 

何を守り捨てるのか、選ぶのも大事だと思うけれど

たぶん、ちょっと人より捨てすぎているようで

守るものさえ守れればあとは仕方ない、という

一種の諦めのようなものがあることに気づいた

 

何かを捨てなければ、私の欲しいものは得られない、と思っているのかも

 

勿論、そういう場面もあるだろうけど

でも、でも、もう少し欲張ってみてもいいかな

と今は思っている

 

たくさん捨てたって、本当に欲しいものが得られるとは限らないし

それなら全部欲張ってみたっていい

 

白黒つけたがるのは私のいいところでもあるけれど、悪いところでもあるから

いい感じのグレー、を探せるようになるのが当面の目標

 

 

2万年前の、世界

コンクリートの5メートル下にあったという、針葉樹の森に想いを馳せる

 

にまんねん、とちいさく呟く

上手く想像できないくらいの、長いながい、時

それでもそこには「人間」がいて、

道具を使い、服を着て、火で調理をしていたのだという

 

きっとこの森は、そういう人間の営みを見ていた

 

人が2万年をつないできたように、この木々も2万年をつないできて

外に出れば同じ種の木が植わっている

それってすごいことだ、と思う

 

それでも、

2万年前を生きた木をそのまま見られることに、強く強く惹かれる

植物が綺麗に残ることの貴重さよ

 

長い時に、心が飛んでゆく

ざわざわと揺れる、湿原の草や

森のなかのすこし湿った、でもさわやかな匂い

 

時を止めた森は、もう動くことはないけれど

いつまでも、見ていられそうな場所だった

 

(事実、全部回ったあと本当に戻ってぼんやり見ていた)

 

自分の目の前の世界だけにとらわれてしまわないように

こういう時間を、大切にしていけたら

 

 

ひらひらと雪が舞い落ちている、窓の外

ずいぶん軽やかな舞い方だから、たぶん、外はきりりと冷えている

やっぱり、綺麗だ

 

冬は冬らしく、夏は夏らしく

そんな風に思えるのは、快適な温度に保たれた室内にいるから、かもしれないけれど

その時期にしか見られない景色を、毎年きちんと味わっておきたいと思う

 

降雪量はどんどん減っていて、気温も10年前とは違う

10年後、20年後に同じ景色が見られる保証なんて、どこにもない

ましてや30年後、40年後、なんて

 

世界には美しい場所も、息をのむような景色も、きっときっとたくさんある

いつか見てみたいものも、たくさん、ある

 

でも、

身の回りの、このちいさな美しさを

きちんと慈しんで、愛おしんで生きたいのだ

 

同じ日は二度とこない、という当たり前の事実を

風にあおられながら落ちてくる粉雪を眺めつつ、かみしめる

 

色々なものを、色々な時間を、見たいと思う

それを見て、自分の心がどう動くのか、どんな感情を抱くのか、知りたいと思う

 

自分の心の動きは、思ってもみない方に振れることがあって

ことのほか、私はそれを好いている

 

学校や社会でルーティンのような日々を過ごすうち、少しずつ少しずつ失われていく新鮮さ

新しいことをはじめたり、人との出会いによって細かな刺激を受けることはそれなりにあるけれど

雷光を浴びたのかと思うほどの、視界が真っ白に染まるような瞬間にはなかなか出会えなくなってしまうものなのかもしれない

 

スリルが好きということではなく、

これまで自分の中にはなかった価値観や選択肢が生まれた瞬間の、

自分の「世界」がググッとひとまわり膨らむ瞬間がとても好きなのだ

 

たとえば、

読めなかったものが読めるようになる、

知らなかった歴史を知る、

今あるものの意味を理解する…。

自分という「世界」の泉に、新しいものが注がれる瞬間を、楽しいと思う

 

日々、本を読み、ネットの海を泳ぎ、記録を残しているのはそういう理由もあるけれど

今の私が一番求めているのはたぶん、ちょっと強めの衝撃

待っていても、歩いてきてくれるわけではないもの

それをわかっていてなお動けずにいるなんて、らしくないよね

 

初心にかえろう、

軽やかに、アクティブに、楽しんでいこう

色々なものを吸い上げよう、スポンジみたいに、乾いた地面のように

ひどい悪夢を見てしまい、絶望的な目覚め

いっそ現実の方がマシだと思いながら起き上がる、悲しい朝

 

たとえ夢だとしても、悪意にみちた言葉というのは、

簡単に心を傷つけることができるのだなとどこか他人事のように考える

夢のなかの私は言葉のナイフで切り裂かれ、

泣いて、泣いて、絶望していて、思い返すだけで苦々しい

 

どんなに強靭な壁を持っていようとも、

一度でも内に入れてしまえば壊すのは簡単だ

内側はとても、脆い

 

誰のどんな言葉が私を殺すか、私が一番よくわかっている

それを、あざやかに映し出してしまったような、夢だった

 

強いというのは、傷がつかないということではない

ナイフが刺さったままでも平気っぽい顔で立っていられるというだけ

 

強くなりたいと思っている、思っているけれど、

私だって傷つかないわけじゃない、何を言われても平気なわけじゃない、

と言いながら泣いたことがあった、とぼんやり、思う

あのころも心に生傷をかかえていた

 

もう、あのころみたいに泣いたり、できない

それを強さと呼んでいいものか、私にはいまいちわからないままでいる

 

いつもなら夢占いの本をめくったりするところだけれど、

今朝は全身が重くてそんな気持ちにもなれなかった

 

深く呼吸をして、お茶を淹れる

夢のなかぐらい、安息の場所であってほしいよ、本当にさ

 

 

年末に向けて忙しさも増してきた

せわしいなかにも楽しみな予定がたくさんあるから

軽やかに走りたい、前に、前に