レミオロメンの『粉雪』がラジオから流れてきて、

ふっと窓のむこう、灰色の空を眺める

 

今にも雪が降りそうな空

 

一日三回の落ち葉掃除を余儀なくされていた木々は、ほとんどの葉が落ちた

葉のない冬のあいだは、空が広い

 

四季の変化は本当にめまぐるしくて一日だって同じ日はなく、

そのことに心底絶望し、そしていつだって癒されている

 

『粉雪』が流行っていたのは、中学生のころだっただろうか

当時は歌詞のうわべをなぞっていただけだったけれど、今なら、わかる気がする

 

些細な言い合いもなくて同じ時間を生きてなどいけない
素直になれないなら喜びも悲しみも虚しいだけ
僕は君の心に耳を押し当てて
その声のする方へすっと深くまで
下りてゆきたい そこでもう一度会おう


粉雪 ねぇ 永遠を前にあまりに脆く
ざらつくアスファルトの上 シミになってゆくよ


手でふれれば一瞬で消えてしまう粉雪も、しんしんと積もれば銀世界になる

降りやむことがなければ、積み重なり厚みを増して、

いつか強固な氷山になるのかもしれない

 

雪がやみ、放っておけば消えてしまうから

毎日、少しずつ、降りつづけてくれたらいいのに

 

しんしん、しんしん、と

今日は父の誕生日。

先日、母とふたりで悩んで、悩んで、悩みぬいて決めたプレゼント

(今年はショルダーバッグに決定した)を渡した。

 

気に入ってもらえたようで、

ニコニコとバッグを眺めたりさわったりしている姿に

こちらまで嬉しくなってしまう。

 

昼頃から、ケーキを焼きはじめる。

誕生日といえど、白いクリームの乗ったものではなくて、

果樹農家さんからいただいたリンゴを贅沢に使った、スパイシーな大人のケーキ。

 

リンゴとシナモンの香りがキッチンいっぱいに広がって、あぁ、冬だなぁと思う。

 

ケーキを焼くかたわら、だし巻き卵のサンドイッチを作りコーヒーを淹れ、

庭で車のメンテナンスをしている父に差し入れる。

「ランチデリバリーです!」なんて言葉を添えて。

 

美味しいよと笑って食べてくれることを、決して当たり前だなんて思わない。

大切な人が、そばにいてくれることも、

元気でいてくれることも、笑顔を向けてくれることも。

 

父と私はよく似ているので、ぶつかることもあるし、

ものすごく生意気な物言いをしてしまうこともある。

言ってしまってから、大人になりきれない自分に毎回うんざりするのだけれど。

 

それでも、父を尊敬する気持ちは変わらない。

彼が私の父であることは、私のもつ最大の幸せのひとつだと、心から思う。

(照れ臭くて直接は絶対に言えない)

 

来年もこうして、当たり前に。

55回目のお誕生日を祝えますように。

 

さ、ケーキを切り分けよう。

落ち葉がワサワサと降り積もる晩秋

朝にも昼にも夕にも、ひたすら落ち葉を掃いている

 

職場向かいの大きな公園から、果てしなく降ってくる色とりどりの葉。

おかげで、90ℓのごみ袋が一瞬でいっぱいになってしまう

(いったい何百本あるんだろうね、この公園の木…)

 

毎年悩みのタネだけれど

この落ち葉掃きが、実はすこし、すきだ

 

掃いているときの、かさついた感じ

自然のものだけが持つ、驚くほど美しいグラデーション

集めた袋のなかから香る、土と樹の、ゆたかな匂い

 

いつも水分たっぷりの自然が、からりと乾いて、

どこでもかしこでもサクサクと音をたてるのが

晩秋、あるいは初冬らしくて、いいなと思う

 

 

去年の今頃だったか、森のなかで金色の葉が降る光景をみた

まるで雪のように、桜のように、はらはら落ちるのが美しくて、

夢中でシャッターを切り、落ちてくる葉に手を伸ばした

 

夕日をうけて金色にかがやく落ち葉が、こんなに美しいなんて。

 

あの息をのむほど美しい、映画のような景色を一緒に見てほしかったな、と今も思わずにいられない

たぶん、あの光景を忘れることはないだろう

 

またいつかあの瞬間に出会えるだろうか

 

そんなことを思いながら、今日、三度目の落ち葉を掃く

あの時も、こんな香りがしていたな

同じ短編集を読んで、弟と感想を言い合っていた。

江國香織の『号泣する準備はできていた』。

 

本の買いどきは出会ったときだと思うけれど、

読みどきは必ずしも買ったときとは限らない、と思っている。

 

この本はもう何年もそばにあったけれど、たぶん、今が一番の読みどきだったろう。

 

弟の部屋から持ち出したので連絡を入れたところ、

彼と感想を言い合うメッセージのやり取りが始まったのだった。

 

 

作者自身はこの12編の物語のことを

かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短編集

と語っている。

喪失と、それをかかえて生きる人たちの日常。

切なく、あるいはやさしく、続いていく人生。

 


この一冊のなかで気に入ったものはどれか、どんなところが良かったか、

というようなことを、つらつらと送り合う。

 

彼は読後感を重視しているらしく、

物語の先に救いを感じられるものが気に入ったのだそう。


そうして挙げられたいくつかの物語に、私は驚かずにはいられなかった。

その中には、私には到底救いを感じられなかったものが混じっていた。

 

私には「もう救いはない」と感じられた物語に対して、

弟は「救いがある」と感じたという。

もちろん人の感性は違って当然なのだが、

この、どうしようもなさそうな終わりにも、

彼の視点からは光が見えるという事実。衝撃。

 

そしてそれこそが、救いだな、とも。

絶望と喪失だけを思わせる物語にも、

別の視点では、もしかしたら絶望の先があり、救いがあり、光があるのかもしれない。

 

 

成就の裏には喪失があり、輝きの裏でそこなわれるものが必ずある。

それを喪失と取るか幸福と取るか、もちろん人それぞれだけれど、

何もかもを同時に得ることができないのは事実だ。

 

私は、そこなわれたらそれで終わり、と思っている節があったけれど。

人生はそんなに定型的なものでもない、のかも。

職場の窓から、この土地のいちばん大きな山が見える

 

西に沈んでゆく日を受けて、黒いシルエットが浮かび上がるのを、よく、眺めている

まるで切り絵のような景色だ

 

 

 

やわらかな金色の夕焼けが美しくて、誰かに、誰かに伝えたいと強く思う

 

「黄昏」「トワイライト」「逢魔が時

 

そんな言葉を交わしたのはいつだったかな

この景色を、どこかであの人も見ているのかもしれない、などと考えに耽る

 

 

空の色が決して永遠ではないように、かならず時は流れ、人はかわる。

 

その当たり前の摂理を、知っているからこそ

かわりながらも、移ろいながらも、永く大切につないでゆけますようにと願った日を覚えている

 

かかっていた曲も、芳香剤のかおりも、交わした言葉も、空の色も

 

 

同じ空が二度となくても、夕焼けの美しさはかわらない

 

きっとこれから何十回、何百回、もしかしたら何千回、暮れてゆく空を見て、その美しさに息をのむのでしょう

 

その不変に悲しみさえ覚えるけれど、どこかでこの景色を見る人がおだやかな気持ちでいられますようにと、また、願う

ついに、初雪

 

先週から、天気予報には何度も雪マークが登場していて

今か今かと怯えながら様子をうかがっていた

 

今朝、目覚ましを止めつつスマホのポップアップ画面を見ると

「外は雪が降ってるよ」

と彼からメッセージが入っていた

わたしと違って、彼の朝は早い

 

あたたかな寝床で受け取る、雪のしらせ

 

雪、いやだな、車のタイヤまだ替えてないし、

通勤に倍の時間かかるし、寒いし、コート着なきゃいけないし

 

なんて思っていたのに

ひらひら、ふわふわ降ってくる、粉のような雪

この目で見れば、その美しさに目を奪われてしまう

 

毎年、そう

初雪は、いくつになっても心躍るものだ

 

まだ完全には冬になっていない景色に

雪が舞うのは美しい

 

冬が来る

街すぎず、田舎すぎない

ここが好きだな、と思う

 

田舎の空気を残した街、

自然の多い街、

静かな空気の街、

さまざまな言葉でこの場所を表そうとしてみるけれど

なかなか、しっくりは来ない

 

誰かは、ほどよい街だと言っていた

 

 

仕事中、ふと窓を見やれば一面の黄金色

青い空とのコントラストが美しくて、一瞬、ぼうっとしてしまう

 

枝葉がざわざわと揺れていて、音まで聞こえてきそうだ、なんて思う

今日は風が強い日なのか

 

都内のオフィスビルにいたころ、窓の外は四角い箱がいっぱいで

天気はわかるけれど、外の気配はわからなかった

それが、当たり前だった

別にそれが不幸というわけではないし、困ることもなかった

 

 

何度か書いているような気がするけれど、

今の職場は、私のデスクからの視界すべてが窓

床から天井までの全面窓なので、開放感がすごい

 

その窓から見えるのは、四季そのもの

 

目の前が大きな公園なので、

春は桜、夏はあざやかな緑、秋は色とりどりの紅葉、冬は雪

まるで一枚の絵画のように

 

毎日いろんな表情を見せてくれる

空の色は季節によってこんなにも違うのだと

葉の色が刻一刻と変わってゆくさまを

毎日、毎瞬、当たり前のこととして見つめている

 

ふと、その美しさに目を奪われるとき

窓の向こうの、聞こえないはずのざわめきを感じるとき

 

あぁ、これは当たり前なんかじゃないのだなと

とても貴重で、ゆたかなことだ、と

何度でも、あらためて思う

 

どんなところでも強く生きてゆこうと思っているけれど

この窓から見る、抜けるような空の青さや、昨日よりも色づいた紅葉に

心癒されているのはたしかなのだった

 

 

遠くを見るのもいい

夢をはばたかせるのもいい

 

だけど目の前の幸せ、目の前の当たり前を、ちゃんと大事にする

 

忘れないでいよう

今は当たり前のことでも、数年前の私は持っていなかったものなんだよ