どこまでも行きたい、軽やかでありたい
できるだけ多くを見て、聞いて、知って、
自分という器をぐいぐい広げながら、そこに水を注ぎ続けたい
そう、たぶんこれが私の願い
最近、ホロスコープや姓名鑑定、マヤ暦など、
いろんな占いに触れる機会があって、そのたびにちょっと笑ってしまう
いや、ちょっと自由を好きすぎないか、これ
そんなに好奇心旺盛な方でもないし、
無鉄砲でもないし、行動派でもないけどなあ、なんて
これまでずっと思ってきたけれど、
きっと私は、私が思っているより自由が好きで
〝動くこと〟に対する欲が、あるのだと思う
そのなかで生まれる、感覚、のようなものを 信じたいのだと思う
近頃、やっとそれがわかってきた
ううん、わかっていたけど、認められるようになってきた、のだ
自由も軽やかさも、あまりよくないことだと思っていた
見方をかえれば飽きっぽく、落ち着きがなく、目移りしやすい、ということで
それを厭う人たちの視線や言葉を 痛いほど感じていたから
だけど、自分の心を押し込めて、それなりにうまくやってゆくことよりも
出来る範囲で、手の届く範囲で、きちんと自分を喜ばせてあげること
諦めばかりじゃなくて、自己効力感を少しずつでも育ててゆくこと
そういうふうに、やってゆきたいと思うようになった
突拍子もないことをなんでもやるわけではなく
自分の「できること」を少しずつ増やすようなやり方で
願いを、この手で叶えてゆこう
自由と軽やかさと、愛のある人生を